宇都宮地方裁判所 昭和40年(ワ)97号 判決 1968年9月26日
原告
斉藤久子
ほか二名
被告
有限会社八百幸商店
ほか一名
主文
一、被告両名は連帯して
(1) 原告斉藤久子に対して金一五二万一、七三九円
(2) 原告斉藤昇に対して金四二万六、二六六円
(3) 原告斉藤キヨ子に対して金二六万二、五四〇円及び右各金員に対する昭和四〇年四月四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告斉藤久子のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は全部被告らの負担とする。
四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一、当事者双方の申立
原告ら訴訟代理人は、「被告らは原告斉藤久子に対し金二四〇万円、同斉藤昇に対し金四二万六、二六六円、同斉藤キヨ子に対し金二六万二、五四〇円、および右各金員に対する昭和四〇年四月四日(訴状送達の翌日)より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。
被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。
第二、当事者双方の主張
(原告らの請求の原因)
一、原告斉藤久子は原告斉藤昇、同斉藤キヨ子の長女である。
二、被告有限会社八百幸商店は青果食品販売業を営むもので、本件事故を起した自家用三輪貨物自動車(栃六な第七一六七号)の所有者であり、被告市川利夫はその被用者である。
三、被告市川は、昭和三八年九月二一日午後一時頃、被告会社がその営業に使用する前記自動車を運転して上都賀郡粟野町大字口粟野仲町地内の道路上を西方に向つて進行中、右道路を北側より南側に横断しようとした原告久子(当時六才、小学校一年生)に同車が衝突し、よつて原告久子に対し脳震盪、頭蓋骨々折、左前頭骨陥没骨折、左後頭骨線状骨折、頭蓋内脳出血、脳実質損傷の傷害を負わせた。
四、右久子の傷害は、被告市川が自動車運転者としての前方注視義務その他業務上の注意義務を怠つた過失によるものであり、また被告会社の事業の執行につき惹起されたものである。従つて被告市川は不法行為者として、被告会社は使用者又は運行供用者として、右事故により原告らが蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
五、右事故により蒙つた原告らの損害は次のとおりである。
(一) 原告久子の損害
(1) 同人の精神的損害
原告久子は、本件交通事故による受傷後直ちに鹿沼市の上都賀病院に入院して治療をうけ、辛うじて生命をとりとめたが、三〇数日を経過しても意識を回復せず、除脳硬直状態が続いたので、同年一〇月二九日、東京の聖路加国際病院に転院し、その三日後に漸く意識を回復したが、長期間の意識障害による気道、膀胱感染症を併発し、更にその後、昭和三九年二月五日には左前頭骨陥没骨折の形成手術という肉体的苦痛を味わつた。久子は、同年二月二九日に同病院を退院したが、外傷性脳水腫、外傷性脳萎縮、右半身運動不全麻痺、四肢頸部躯幹部の不随意運動亢進症、言語障害、軽度の精神障害等の後遺症を残すこととなり、しかもこれらの後遺症は回復困難であるばかりか悪化することもあるとの診断をうけた。
久子は、現在もなお通院加療中であるが、右後遺症による軽度の精神障害のため知能程度が低下し、言語障害があるため今後の進展もあまり期待できず、学課の方はまともな採点の対象とされないような状態となり、また肉体的には右手がふるえ、右足が麻痺してびつこをひき、歩行に困難を感ずるという右半身不随の不具状態となり、母親が手を引いて通学を続けていたものの、他の学童たちがするようにとんだりはねたりして遊戯をすることもできないため童心を暗くし、到底普通児童と共学することが無理なので、昭和四二年度からは宇都宮の肢体不自由児養護学校に転学した次第である。しかも左額部に五センチ位の鍵裂きの傷痕を残したことは、女性として今後成人するにつれて大きな精神的苦痛となることは必至である。
これらの事情に加えて、久子の家庭は父の月収が二万五、〇〇〇円程度で生活が困難であること、被告会社は肩書地に店舗をかまえて青果食品販売業及びコンニヤク仲買業を営んでいるが、被告らは本件事故発生後、治療費の一部を支払つたのみで、他に誠意ある精神的慰藉の方法を示さないこと、などの諸事情を綜合勘案すると、久子の精神的損害に対する慰藉料は金一〇〇万円をもつて相当とする。
(2) 原告久子の得べかりし利益の喪失
原告久子は、本件事故発生当時満六才の健康児であつたが、厚生省発表の第一〇回生命表によれば、満六才の女子の平均余命は六五年であり、また労働省発表の労働白書一九六四年版所収の付属統計表第三七表によれば、製造業女子労務者の全国平均賃金は月額一二、六六八円(年額一五万二、〇一六円)であるから、原告久子は、その年令が満二〇才に達した後少くとも満五五才に達する迄の間は右金額を下らない収入を得られるものと推認されるところ、久子は前記のとおりの後遺症により通常人の三分の一程度の労働能力しか有しないと推定されるに至つた。このことは、労働者災害補償保険法施行規則別表第一によれば、半身不随となつた者に対する補償は、当該障害の存する期間一年につき平均賃金の二四〇日分(すなわちほぼ三分の二)と定められていることからしても、半身不随となつた者の労働能力は正常人のほぼ三分の一と評価するのが妥当である。しかして右生存予定期間中の生活費は増加することはあつても減少することは考えられないので、久子の満二〇才から生存予定期間内である就労可能年数満五五才までの前記得べかりし収入(計算の便宜上年額一五万円とする)からその三分の一を控除し、更にホフマン式計算法により年五分の中間利息を一ケ年毎に差引いて事故当時における一時支払額を計算すると金一四三万九、四二八円となり、久子は本件事故により同額の得べかりし得益を失つたわけであるが、内金一四〇万円を本訴で請求する。
(二) 原告昇、同キヨ子の損害
(1) 原告昇が久子の治療のために支出した費用
久子は前記のとおり、昭和三八年九月二一日に上都賀病院に入院し、同年一〇月二九日に聖路加国際病院に転院し、昭和三九年二月二九日に同病院を退院し、以後昭和四二年八月二五日現在に至るも引続き通院加療を続けており、そのうち、昭和三八年九月二一日から同年一〇月二八日までの上都賀病院入院費(但し氷代を除く)、同年一〇月二九日から同年一一月二六日までの聖路加国際病院入院費、及び上都賀病院から聖路加国際病院に転院する際に要した自動車賃、以上合計金二〇万五、三一〇円は被告会社が支払つたが、それ以外に原告昇が支出した費用は、次のとおり合計金二三万四、六一三円となるところ、本訴ではその内金一七万六、二六六円を請求する。
(イ) 金一万二、三二〇円(昭和三八年九月二二日から同年一〇月二八日まで上都賀病院入院中に要した氷代)
(ロ) 金九万七、九八七円(昭和三八年一一月二七日から昭和三九年二月二九日まで聖路加国際病院入院中の支払金)
(ハ) 金一万五、〇〇〇円(原告昇と同キヨ子間には長女久子の外に長男正と二男明の二児が居るが、昭和三八年一〇月二九日から昭和三九年二月二九日まで久子が聖路加国際病院に入院中は、母キヨ子が終始附添つていたため、その間に前記二児を他に預けて養育してもらつた礼金)
(ニ) 金二万一、七八〇円(原告キヨ子が前記附添期間中の東京における宿泊費―夜間は病院に宿泊できない、及び宿泊所から毎日通院の交通費並びに雑費)
(ホ) 金二万二、六九九円(昭和三九年三月一日から同年一〇月一九日までの間、聖路加国際病院に通院して治療を受けた支払金)
(ヘ) 金六、四八〇円(右期間、鹿沼から東京までの往復交通費九回分)
(ト) 金五万八、三四七円(昭和三九年一二月一八日から昭和四二年八月二五日現在に至るまで右病院に通院して治療を受けた支払金)
(チ) なお今後も継続して治療を受けに行かねばならない状況にあつて、その額は予測することができず、更にその都度、原告久子及びこれに附添つて行く原告キヨ子の交通費等を合算すれば、相当多額の支出をせねばならないと思われる。
(2) 原告キヨ子の得べかりし利益の喪失
原告キヨ子は、本件事故発生当時、大山光学株式会社の下請工場に光学レンズの研磨工として勤務し、日給三三〇円を得ていたが、久子が上都賀病院に入院中、附添看護をする必要から右勤務を継続することができなくなつたため、その間の給料一万二、五四〇円の得べかりし利益を失つた。
(3) 原告昇、同キヨ子の精神的損害
原告昇、同キヨ子は原告久子の両親として、本件事故の発生により激しいシヨツクを受け、爾来仕事も手につかず、寝食を忘れて看病に当り、退院後も、通院通学はもとより、日常の起居振舞の世話に至るまで容易ならぬ苦痛を重ねているが、前記のとおり、久子は半身不随の不具同様になり、将来も順調に成長して通常の社会生活を営むことを期待しえなくなり、今後一生久子の庇護扶養をしてゆかねばならないことを考えると、子の死亡したときに勝るとも劣らぬ精神的苦痛を受けたものというべく、これらの事情に前述の原・被告の経済状況や被告の態度などを綜合勘案すると、原告昇、同キヨ子の精神的苦痛に対する慰藉料は、各金二五万円をもつて相当とする。
六、よつて、被告らに対し連帯して、原告久子は金二四〇万円、原告昇は金四二万六、二六六円、原告キヨ子は金二六万二、五四〇円と、これら各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和四〇年四月四日から完済に至るまで年五分の民事法定利率による遅延損害金の支払を求める。
(請求原因に対する被告らの答弁並びに主張)
一、請求原因第一項ないし第三項の事実は全て認める。
第四項中、本件事故は被告市川が被告会社の業務執行中に生じたものであることは認めるが、その余は争う。
第五項の(二)の(1)のうち、被告会社が金二〇万五、三一〇円を支払つたことは認めるが、その余の事実は争う。
二、被告市川は、原告ら主張の日時場所において、原告ら主張の道路を東から西に向つて進行中、数一〇米手前ですれ違いのバスが停車しているのを発見し、バスから降りる客に注意を払いながら減速して進行してきたのであるが、右道路を北から南へ横断せんとした被害者久子が、バスの裏から突如として馳け出してきたので、被告市川は急停車の措置をとつたが間に合わず、被告三輪車の右側前部ドアー及び荷台右前角あたりが被害者に衝突してはね飛ばしてしまつたもので、被告市川は事故現場を四〇キロ以下に速度を落してバスの側を通過しようとしたのであり、しかも同所は、舗装部分六・二五米、非舗装部分八米、合計一四・二五米の幅員があり、見透しのきく丁字路であるから、若し被害者が飛び出して来なければ事故が起る筈はなく、本件事故は寧ろ不可抗力というべきである。
仮にそうでないとしても、本件事故の発生には前記のように被害者にも相当程度の過失がある。即ち、歩行者は、バスが停車している場合には横断歩道であつてもバスの直後を飛び出してはならない(通交法一三条一項)のに、不注意にも飛び出した過失がある。
又被害者久子に過失を認めえないとしても、久子は当時六才の幼児であつたから、監護者が附添わないで歩行させた点につき、その監護者である原告昇、同キヨ子に過失がある(道交法一四条三項)。
よつて、本件の損害賠償額を定めるにあたつては、被害者側の右過失を斟酌すべきである。
第三、証拠関係 〔略〕
理由
一、請求原因第一項、第二項、第三項の事実は当事者間に争いがない。
二、被告市川利夫の責任
右当事者間に争いがない事実と、〔証拠略〕を綜合すると、本件事故の状況について次の各事実が認められる。
(1) 本件事故当日、被告市川は被告会社所有の自家用第二種三輪貨物自動車(栃六な第七一六七号)を運転し、市場から野菜を仕入れて被告会社に戻る途中、通称粕尾街道(県道)を時速約四〇キロで西進してきて、午後一時頃、右粕尾街道と、それより北側へ入る通称粟野街道とが丁字に交る上都賀郡粟野町大字口粟野八九一番地先の本件事故現場にさしかかつた。
(2) 粕尾街道の事故現場附近は、ほゞ一直線に東西に通じ、幅員約一四米二五で、道路中央六米二五がアスフアルト舗装、その両側各四米が非舗装になつており、粕尾街道と粟野街道が丁字に交わる地点の粕尾街道上の東側及び西側は横断歩道となり白ペンキで表示されているが、信号機その他の交通標識は粕尾街道上にはなく、粟野街道から粕尾街道に出る左側のところに「止まれ」の標識がある。なお本件事故当時には、粕尾街道上の前記東側横断歩道より約八米位東へ寄つた道路の北側郵便局前に、バスの停留所があつた。なお事故現場は粟野町における中心部であるが、田舎町であるため交通量は比較的少なく、事故当時においては五分間に自動車四、五台の程度であつた。
(3) 被告市川が粕尾街道を西進して事故現場にさしかかつたとき、前記丁字路より手前右側のバス停留所に対面して停車しているバスを認めたが、被告市川はその南側を通過しようとして、別に減速徐行することもなく漫然四〇キロの速度のまま進行し、バスの後部側方まで進行したところ、バスの後方約四米の地点にある前記丁字路手前(粕尾街道上東側)の横断歩道を、原告久子が北側から駈足で横断しようとして既に道路中央部よりやや南の地点まで来ているのを前方斜右約六・七五米先に発見し、あわてて急制動をかけると同時にハンドルを幾分左に切つたが及ばず、被告車の右側ドア及び荷台右前角あたりを久子の左前額部あたりに激突転倒させて重傷を負わせ、被告車は衝突地点より約二五・八米スリツプしながら前進して漸やく停車した。
以上の事実が認められる。
右の点について、被告市川は本人尋問において、バスの側方を通過するとき一旦ブレーキを踏んだが、横断歩道にさしかかる直前に大丈夫と思つてブレーキを放した瞬間、被害者が後ろ向きになつて横断歩道に飛び出してきた旨述べているが、斯ることは、警察及び検察庁における同人の供述調書にも記載されていないし、横断歩道を通過せぬうちにブレーキを放すということは理不尽であるし、衝突後、被告車が約二五・八米のスリツプ痕を残して停車したことからみても、被告車が相当早い速度で進行して来たことが認められ、また被害者久子の傷害の部位、殊に左前頭骨が陥没骨折していることからみても、同人が後ろ向きになつて飛び出して来たものとは考えられないので、右被告市川本人の供述部分は措信することができず、他に前記の認定を覆えするに足る証拠はない。
ところで、本件の如く、被告市川が進行して来た粕尾街道と粟野街道とが丁字に交差する場所において、しかもその手前にバスの停留所があつてバスが停車しており、更にその後方に横断歩道がある如き場所においては、いつ何時停車中のバスの陰から、その後方の横断歩道を人が横切るかも知れないことは当然予測される事柄であるから、斯る場所にさしかかつた自動車の運転手としては、いつそのような事態が生じても、直ちに停車して事故の発生を未然に防止できるよう、前方を十分注視しながら減速徐行すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、被告市川は前記の如く約四〇キロの速度で、しかもバスの後方の横断歩道を人が通ることに十分気を配ばらずに(前記の如く、被告市川が被害者久子を発見したのは約六・七五米の距離に接近してからであり、しかも、横断歩道はバスの直後ではなくその後方約四米程離れており、更に被告市川が久子を発見した際には久子は既に横断歩道を半分以上渡つていたのであるから、被告市川が前方注視を怠つていたことは明瞭である。)漫然進行したため、本件事故が生じたものといえるから、被告市川の不法行為責任は免れない。
本件事故の発生について、被告らは不可抗力を主張するが、右に認定したように、被告市川が横断歩道手前のバスの側方を通過する際、減速徐行と前方注視の義務を尽していたならば本件事故は発生しなかつたと認められるから、不可抗力の主張は理由がない。
また、被告らは、本件事故については被害者側にも過失があつたとして過失相殺を主張するので、この点を判断するに、過失相殺における被害者の過失を考慮するには、被害者が未成年者でも事理を弁識する知能があれば足り、行為の責任を弁識するに足る知能を有していることを必要としないものではあるが、〔証拠略〕によれば、原告久子は本件事故当時満六才六月の女児(小学校一年生)に過ぎなかつたもので、平素学校の先生や父母から、車道を渡るときは横断歩道を通るように指導されており、そのため、事故当日には、学校からの帰途、粕尾街道の北側の非舗装部分を通つて東から西に歩き、郵便局前のバス停留所を過ぎて、それより約八米西方にある本件事故現場の横断歩道を、北側から南側に向つて横断しようとしているとき本件事故に遭遇したことが認められるのであつて、かかる年少の久子が、横断歩道さえ通れば安全と考えて走りながら横断せんとしたとしても、同人の知能程度をもつてしては止むをえないことであり、バスの後方を横断するに際して、走つては危険であるから特に慎重にしなければならないとの弁識を同人に期待することは無理であると考えられるから、結局同人としては本件損害の発生をさけるに必要な注意義務を未だ備えていなかつたものというべく、従つて同人に対して過失の責を負わすことはできない。
次に久子の監護義務者である親権者原告昇、同キヨ子の過失を考えるに、先に認定したように、当時本件事故現場は左程交通が頻繁ではなく、また入学当初の一年生ならばいざしらず、既に学校生活も半年を過し学業成績も優秀であつた久子の登校下校時に一々送り迎えを期待することは到底無理であるから監護義務者たる原告ら両親にも過失はないものといわなければならない。被告らは原告ら両親に道交法第一四条後段の責任ありと主張するが、右は六才未満の児童の歩行についての附添を要求しているのであつて、久子は当時六才六月であつたから、これに該当しないことは明白である。
三、被告会社の責任
〔証拠略〕によれば、本件事故を惹起した三輪貨物自動車は被告会社の所有であること、通常から被告会社の業務のため右自動車が使用されていたこと、被告市川は被告会社の被用者であること、本件事故は被告市川が右自動車を使用して被告会社の業務に従事中に起つたものであること、被告市川には前記認定のとおり本件事故の発生につき過失があつたこと、を認めることができ、これに反する証拠は存しない。而して以上認定した事実関係からすれば、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条に定める所謂連行供与者としての責任があるほか、民法第七一五条第一項の使用者としての責任も負わねばならない。
四、本件事故により蒙つた原告らの損害
(一) 原告久子の損害
(1) 同人の精神的損害
〔証拠略〕を綜合すると、次の事実が認められる。
(イ) 原告久子は、本件事故により脳震盪、題蓋骨々折、左前頭骨陥没骨折、左後頭骨線状骨折、頭蓋内脳出血、脳実質損傷の傷害を受け、受傷後直ちに鹿沼市の上都賀病院に入院治療をうけ、辛うじて生命はとりとめたものの、三〇数日を経過しても意識を回復せず、同年一〇月二九日に東京聖路加国際病院に転院して治療を受けた結果、その三日後に漸く意識を回復し、昭和三九年二月五日には左前頭骨陥没骨折の形成手術を受けた。久子は同年二月二九日に一応同病院を退院したが、外傷性脳水腫、外傷性脳萎縮、右半身運動不全痲痺、四肢頸部躯幹部の不随意運動亢進症、言語障害、軽度の精神障害等の後遺症状群を残し、引続き通院加療を受けている。
(ロ) 久子は事故前は健康で明朗な子供で、事故の年の四月に小学校に入学したが、一年一学期の成績表をみると、教課目二四のうち一九が「進んでいる」、四課目が「特に進んでいる」という評定で、級中でも上位の四、五人の中に入る優秀な子供であつた。受傷後は前記後遺症のため知能程度が低下し、最初は言葉もあまり喋べれなかつたが、その後言語障害は次第に回復し、最近では言葉の曖眛性が残る程度となつたが、計算は理解できない。性格的にも持続性がなくあきつぽくなつて了い、四一年五月の知能テストの結果は、知能段階を最優、優、中上、中、中下、劣、最劣に分類した場合劣に属し、結局普通の小学校で普通の児童と共に勉強するのは無理と認められたので、昭和四二年度からは肢体不自由児の養護学校である栃木県立野沢養護学校に入ることになつた。肉体的には発育は順調であるが、右半身の痲痺があり、外見上は一寸わからないが、右手は字を書いたり著を持つたりするとふるえるので、現在では左手で著を持つたり字を書いたりするようになつた。右足の跛も外見上は一寸わからぬ程度に歩けるようになつたが、倒れるときは棒のように倒れる。養護学校では特殊訓練をしてくれているが、どの程度まで機能が回復するかわからない。将来久子がどのような職業につきうるかも現在の段階では未だ予測できない。左額部の傷は一寸みえる程度であるが、左目がつり上つてしまつている。
(ハ) 原告久子は原告昇、同キヨ子間の長女であり、夫婦間には久子のほか兄の正(事故当時中学生)と明(事故当時小学生)の子がある。父昇は東京都板橋区にある王子パン工場に勤め、事故当時は月収二万五、〇〇〇円であつたが、現在は三万円である。現在一家は久子を養護施設に入れた関係で、事故当時住んでいた粟野町から肩書地へ住居を移した。一方被告会社は肩書地で八百屋を営み資本金三〇万円、取引高は月平均一〇〇万円、荒利益は月平均一五万円であり、家族は四人である。被告市川は昭和四二年一月より独立して店を持つたが、零細八百屋で収入は月平均三万円位あり、同年春結婚して家族は二人だけである。
以上認定した事実によると、原告久子の将来の職業の選択ないし結婚には相当の困難が伴うであろうことは想像に難くなく、且つ肉体的にも不自由をしのんで過さねばならぬものと認められ、又容貌に残つた傷痕も今後女性として成人するにおよんで精神的苦痛をうけるものと考えられ、以上久子が本件事故により受けた肉体的精神的苦痛その他諸般の事情を考慮すると、同人に対する慰藉料は金一〇〇万円をもつて相当と考える。
(2) 原告久子の得べかりし利益の喪失
原告久子は本件事故発生当時満六才の健康児であつたことは前記認定のとおりである。ところで、厚生大臣官房統計調査部作成昭和三八年簡易生命表によれば、満六才の女子の平均余命は六八・三三年であり、また労働大臣官房労働統計調査部作成「全産業性別の労働者に平均月間きまつて支給する現金給与額(昭和三八年)表」によれば、従業員一〇人ないし二九人の企業規模における女子労働者の全国平均賃金は一万二、六六九円(年額一五万二、〇二八円)であるから、久子は前記のような身体障害がなければ、その年令が満二〇才に達してから少くとも満五五才に達する迄の間は右の額を下らない収入を得ることができたものと推認されるところ、久子の前記のような心身の状態殊に頭部に重傷を受けたことを考えれば、将来の回復を見込んでも、通常人の三分の二程度の労働能力しか有し得ないものと考えられる。ちなみに、労働者災害補償保険法施行規則別表第一によれば、第六級に「そしやく又は言語の機能に著るしい障害を残すもの」とあり、久子は著るしいと迄は云えないにしてもかなりの言語障害があると認められ、第七級には「精神に障害を残し、又は神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」とあり、久子はこれに該当するものと思われるが、かなりの言語障害もあることを考慮に入れれば第六級か第七級に評価するのが妥当である。この点につき、原告訴訟代理人は第一級の半身不随を主張するけれども、半身不随とは身体の片側の運動が上肢下肢体幹ともに痲痺していて常に介護を要する程度と解すべきであるから、久子の現在の状態をもつてしては未だ半身不随とは言えないと解する。ところで同表第六級又は第七級に該当するものに対する補償は、当該障害の存する期間一年につき平均賃金の一二〇日ないし一〇〇日分すなわちほぼ三分の一と定められていることからみると、久子の労働能力は通常人のほゞ三分の二と評価するのが妥当と考える。そうすると、久子は満二〇才から満五五才までの前記うべかりし収入(計算の便宜上年額一五万円とする)からその三分の一を失い、従つて満二〇才から五五才までの就労可能年数三六年間に合計金一八〇万円の得べかりし利益を失つたことになり、これを事故時点の損害として一時に請求するについて、更にホフマン式計算法により年五分の中間利息四九年分を控除すると、その現価額は金五二万一、七三九円となり、この金額が原告久子の本件事故によつて失つた得べかりし利益である。(ちなみに本件のような場合、久子は普通人の三分の二程度の収入を得て、それによつて生活して行かなければならないのであるから、前記失つた三分の一の収益の中から更に生活費を差引く必要はない。)
(二) 原告昇、同キヨ子の損害
(1) 原告昇が久子の治療のために支出した費用
被告会社が、久子の上都賀病院入院費、昭和三八年一〇月二九日から同年一一月二六日までの聖路加国際病院入院費、及び上都賀病院から聖路加国際病院に転院する際の自動車賃、以上合計金二〇万五、三一〇円を支払つたことは当事者間に争いがない。
ところで、それ以外に、原告昇は久子の治療に関して次の費用を支払つたことが認められる。
(イ) 金九、八四〇円(〔証拠略〕久子の上都賀病院入院中の氷代)。
(ロ) 金九万七、九七八円(〔証拠略〕昭和三八年一一月二七日から昭和三九年二月二九日までの聖路加国際病院入院費)。
(ハ) 金七万八、九八七円(〔証拠略〕昭和三九年四月から昭和四二年八月までの間、毎月一回ないし二回の割合で久子が聖路加国際病院に通院して加療を受けた治療費)。
(ニ) 金一万五、〇〇〇円(〔証拠略〕久子が聖路加国際病院に入院中、母キヨ子が附添いのため、正と明の二人の子供を親戚に預けておいた謝礼金)。
(ホ) 金二万一、七八〇円(弁論の全趣旨と社会通念によつて認められる、久子の聖路加国際病院入院中、母キヨ子の附添いのために要した宿泊費交通費諸雑費等)。
(ヘ) 金六、四八〇円(弁論の全趣旨と社会通念によつて認められる、前記久子が鹿沼から東京まで通院のために要した交通費)。
以上合計金二三万〇〇六五円を支出したことが認められるので、その内金一七万六、二六六円の請求は理由がある。
(2) 原告キヨ子の得べかりし利益の喪失
原告キヨ子同昇の供述によれば、原告キヨ子は本件事故発生当時、大山光学株式会社の下請工場に光学レンズの研磨工として勤務し、日給三三〇円を得ていたが、久子が本件事故により上都賀病院に入院し、これを附添看護する必要から右勤務を継続できなくなつたため、その間の給料一万二、五四〇円の得べかりし利益を失つたことが認められる。
(3) 原告昇、同キヨ子の精神的損害
原告久子の本件事故による負傷の部位程度及びその後の経過等については先に述べたとおりである。原告昇同キヨ子は久子の両親として、その治療看病等に非常な苦労を重ね、外傷治癒後も前述のような有様で、久子の将来についても心を痛め続けなければならないであろうことを考えると、その苦悩は察するに余りあるものがある。これらの諸事情を考慮すると、原告昇同キヨ子に対する慰藉料は各金二五万円宛をもつて相当と考える。
五、以上の次第で、被告らは連帯して、原告斉藤久子に対して前記四の(一)の(1)(2)の合計金一五二万一、七三九円、同斉藤昇に対して前記四の(二)の(1)(3)の合計金四二万六、二六六円、同斉藤キヨ子に対して前記四の(二)の(2)(3)の合計金二六万二、五四〇円、及び右各金員に対する昭和四〇年四月四日(訴状送達の翌日)から完済に至るまで年五分の民事法定利率による遅延損害金を支払う義務がある。
よつて原告らの請求中、右の限度において認容し、その余は棄却し、訴訟費用は民事訴訟法第八九条第九二条第九三条に則り全部被告らの負担と定め、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 石沢三千雄)